まだまだ..というよりますます抜け出せなくなっている『なぞの転校生』。
昨晩、改めて最終回から遡りながら(今は遡りながら見たい気分)三話分見ました(一話30分程って短さもイイのです)。
泣けるー!筋がアタマに入っている分細かい部分にまで目が行くのか、泣けました..ノリオー!!(涙)
本郷奏多君演じる典夫君がみどりちゃんの前に跪いて手の甲に口づけるシーンはイイですね..だってあのヒューマノイドの典夫君がですよ..(涙)あの行動にはプログラムから導き出された以上の何かがあった筈だと信じますよ私は。


Lunaさんのブログ『楽しい時間』で、「最後の最後で典夫君も花を持っていた」と書かれているのを読みました。うーん気付かなかったけど(やっぱりツメの甘いワタシ..;;)そう言われてみればそうかも..?そうとすれば、あの花は"心"の象徴なのかもですね..うぅ..ノリオー!!(再び涙)


DVDボックス欲しいなぁ〜..最終話を何としてもフルで見たいし。

なぞの転校生 DVD BOX(5枚組)

なぞの転校生 DVD BOX(5枚組)

追記@20140403

典夫君がみどりちゃんの手の甲に口づけるシーン、この記事に典夫君は"姫にしか示さない仕草でみどりにお別れを"したとあるのを読んで、またしてもピカーッと私の中の解釈に変化が(?)起きたのでメモ。
そうか..そういう事であれば、この時の典夫君に"ヒューマノイドが人間のような心を獲得!"というファンタジーが起きてメデタシメデタシ..ではなく、やっぱり典夫君はヒューマノイドであって、その彼がこれまでの様々な出来事をプログラムの中で処理して処理して(恐らくはちょっとオーバーヒート気味になってたりなんかして..キャ^^=)みどりちゃんを姫と同格(な程..)の存在であるという認識(ある種のエラー?)に至って、それがあの跪いての口づけという行為となって現われた..と。
典夫君のあの行為がプログラムから導き出された結果だったとしても、それは全く悲しむべき事(?)などではなく、彼にとって絶対的に最優先な存在である姫様とみどりちゃんを"同格"と認識してしまうという、そんな異例中の異例なエラーが起きてしまった事自体が、典夫君はやっぱりフツーのヒューマノイドのままだったワケではないという証拠..というかむしろその方が何だかグッと来る〜..のは私だけ??(もう熱く語り過ぎて何言ってんのか分からなくなって来た..;;;)


時間が経って上にリンクした"この記事"が読めなくなってしまうと私がカナシイので(「そうそうそうそれが言いたかったの〜!」と思わず膝を打つ、非常に嬉しい内容なんです..)nikkansports.comより写させて頂きます。*1

 3ヶ月にわたり夢中で見たテレビ東京ドラマ「なぞの転校生」が終わってしまった。NHK少年ドラマシリーズの名作(75年)を映画監督岩井俊二氏が企画プロデュース・脚本で39年ぶりにリメーク。最近の民放連ドラではずば抜けのわくわく感と世界観があり、オリジナル世代としても急所を突かれた。テレ東深夜枠とあって平均視聴率は2%台と振るわなかったが、この1年ほとんどの連ドラを見た立場から、勝手に裏1位に認定したい。リメークもので現代性を感じてハマったのは「妖怪人間ベム」(11年、日本テレビ)以来、SFで泣けるほど感動したのは「Q10」(10年、日本テレビ)以来だった。アニメや戦隊ものなど、評価の定まった70年代の名作を安直にリメークする風潮が止まらないので、「なぞの転校生」がリメークされると発表された際には複雑な思いだった。「なぞの転校生」といえば、「タイムトラベラー」「夕ばえ作戦」「まぼろしのペンフレンド」など小中学生向けSFジュブナイルの傑作をいくつも生んだNHK少年ドラマシリーズの金看板であり、私もここを入り口にSFの面白さに触れた1人である。登場人物たちにもう1度会いたいという思いと、不純なリメークならやめてほしいという思いで恐る恐る見たのだが、抑制の効いた甘酸っぱい青春風景は少年ドラマシリーズのテイストそのものだった。今の人の心に響かなければリメークする意味がない。岩井氏がどこを変え、どこを残すのかに興味を持ったが、転校生の設定やストーリーなど、いろいろ大胆に変えていた。NHK版の山沢典夫は、訳あって家族でパラレルワールドを渡り歩く次元放浪民だったが、岩井版は異次元D8世界の王家を守るアンドロイドとして描かれた。岩田広一(中村蒼)、山沢典夫(本郷奏多)、香川みどり(桜井美南)の主要3人に加え、D8世界の姫(杉咲花)など王族の面々が加わった。心を持たないはずのアンドロイドと人間のあいだに芽生える友情の過程が丁寧に描かれ、最後の王家を通して語られる「D8世界が滅んだ理由」が現代とリンクして圧倒的なストーリーになっていた。知能を持つ謎の物質「モノリス」や、禁断の炎「プロメテウスの火」などのキーワードが、東日本大震災原発事故後のメンタリティーに刺さる。違う次元に同じ人間が存在するアイデンティカの設定も、すてきなサイドストーリーを生んでいた。原作やNHK版への理解があってこそ発揮できる岩井氏のオリジナリティーで、2014年のSFジュブナイルを見せてくれた。キャストも素晴らしかった。いわゆるビッグネームがいないことが、ごく普通の学園を舞台にしたSFに合っていた。作品の世界観を決める山沢典夫を演じた本郷奏多に引き込まれた。無機質な表情にどことなく魂が宿っているようにも見える正体不明さが絶妙。「何か用?」と業務連絡のような冷たさと「君はきっと僕のことが好きなんだろう?」といたわる優しさのツンデレが素晴らしい。姫を救う孤軍奮闘が手詰まりになり「泣いてみたいです」。泣けないが泣いているように見えるアンドロイドの横顔は、忘れられない名場面になった。「天空の城ラピュタ」で1人で墓を守っていたロボット兵のような切なさがあって、岩井氏の希望あふれるラストにホッとした。認知症の気がある独居老人役を演じたミッキー・カーチスの存在はオスカー級。山沢の分身としていろいろこき使われるが、正気と混乱が入れ替わる様子や、孤独な食事風景など、この人以外にない味わいでドラマを支えていた。ジャブジャブ予算を投じなくても極上のSFを作れることを演出で示してもくれた。団地の屋上が次元の出入り口になっているのだが、D8世界から来た人々がすべて白い泥まみれで、あちらの世界の壮絶な光景を想像させる。物語の舞台になっているD12世界は私たちの世界にそっくりだが、「ショパンがいない」のでこことは違うと自然に分かる。手のひらで浮くモノリスなど小道具もいい。アナログな特撮だけでSFの神髄を見せてくれた75年版のDNAを感じた。映像も美しく、広がる青い空や夕暮れの学校など、自然光や逆光でふんわり見せる岩井ワールドがSFの幻想的な雰囲気に合っていた。「これがD12世界の空か。星も見えるのかい?」。D8世界から来た人は、必ず空の美しさに息をのむ。見慣れた空も、SFの要素になっていた。75年の「なぞの転校生」で岩田広一を演じた高野浩幸が、今回の岩田広一の父親役を演じていたのだが、単なる父親役で終わらなかった最終回の離れ業に圧倒された。異次元人として、非常に重要な役どころで屋上に現れる彼は「岩田広一」と名乗る。「D15世界から来た」と言うのを聞いて一気に涙が出た。D15は75年版の舞台だ。岩田君にまた会えた。山沢典夫の名を「わが友の名だ」と懐かしんでいた。世界はどこかでつながっているという物語のテーマが一気に胸に落ちた。山沢との別れのシーンは、75年版と同じ団地の屋上。岩田、みどりが見送る。姫にしか示さない仕草でみどりにお別れをする山沢がチャーミング。別れの春にふさわしい、すがすがしいドラマだった。いっそこの枠で、ほかの少年ドラマシリーズもリメークしてくれないだろうか。【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)

*1:アウトな行為なら消しますので連絡願いますスミマセン..