かっぱ横丁...

追加:
よく考えてみるべきはパンフに寄せられた演出家の、「ドリアン、ハリー、バジル、この『ドリアン・グレイの肖像』の登場人物の中に、オスカー・ワイルドの本当の顔を写し出せたらと思っている」 ..という言葉。
今回、倉田淳*1は、物語中の誰某の想いが云々..ではなく、作者その人に想いを馳せているらしい。これは、この舞台について色々考える際、キーになるだろう。


『ドリアン・グレイの肖像』ってとても哀しい物語だったんだー..原作読んだ時は、他の派手な部分に気を取られてしまってそこまでアタマが回らなかった..っつーか何度か原作読んだ事あるように思うけど、こんな感じ方をしたのは初めてだ。怪奇な部分にばかり目が行ってしまって(あと印象的なフレーズ群..)静かに考えた事が無かった..
楢原ヘンリーからは人生に対する苛立ちを、笠原ヘンリーからは哀しみを、より強く感じた
ヘンリー! 私にとってあの舞台は、ヘンリーの苛立ち、哀しみが全てだったと言ってもイイかも知れない。一幕目と二幕目、その間に20年近い時間が経っているのだが、あの辺の笠原ヘンリーの見せ方は上手かった。気ままに颯爽として人生向かう所敵無し!といった感じの一幕目と、誰もが、(何の前で、なのかまだよく分からない)等しく無力な存在に過ぎない事を強く思い知らされる二幕目..変わらないドリアンを前に語るシーンは心に残った。最初恥ずかしながら、何で二幕目の笠原ヘンリーが一幕目ほど素敵に見えないのかが分からなかったのだが、途中で「どうやらそういう事らしい..」と気付いたのだった..身体の動き、ちょっとした仕草、漂わせる雰囲気からも、颯爽とした若さが消えていたのだった..よくよく目を凝らしてみれば髪にも老けメークをしていた?(遠かったので細かい所はよく見えなかったが..)最後、皆揃っての挨拶の時はまた若々しい姿だったので嬉しかった。綺麗な笠原さんを見られて嬉しかった!とかって理由でなく、あのヘンリーは哀しいからさ。目を逸らせば済むって話じゃないんだけど。


一日目、どっちだっけ..クリムゾン組(?楢原ヘンリーの方)はえらく前の席だった。二日目、えーと..アズール組(?笠原ヘンリーの方)は反対にドえらく後ろ(しかもすごく端の方..)の席..あまり後ろの席ばかりだと、確かにチケットを手にした時にはガックリ来るけど、結局の所、あの劇場@シアタードラマシティなら後ろの方が観やすいと思う。窓から差し込む淡い陽の光が(モデルになっている)ドリアンに..等、勿体無い事に一日目の席では全く分からなかったし。あのセットの配置も、舞台を見下ろす席だったからこそよりよく見る事が出来たワケだし。あと前の席の人が万が一身を乗り出しても、多少はマシ..*2


参考までに(何のだ)。 http://forum.nifty.com/ftheater/index.htm
これの9月15日更新の項目を探してどうぞ。(右欄で動画もアップされていますので此方も是非)

*1:Studio Life の演出家。この劇団、役者は全員男性だが、束ねる演出家は女性である。彼等の芝居の持つ独特なニュアンスはココに起因するように思う。

*2:そういう輩は容赦なく排除すべし、と。普通に座って普通に目を開けてさえいればそれで(皆が)キチンと観られるハズなのに何故それすら出来ん輩がいるのか理解不能